2005年 03月 18日
CL回顧と「美しく勝利せよ」批判
オランダの英雄で、バルサの英雄でもあるヨハン・クライフは、
そのサッカー哲学を「美しく勝利せよ」という言葉に凝縮して表した。
これは、ファンあってのサッカークラブであることを前提に、美しく、
魅力的なサッカーを実践してファンを常に魅了することを第一としている。
曰く、ポゼションとパスワークによるサッカーだ。
一方で、不恰好な勝利を良しとしない。
ということは、
①「ポジティブな結果+ポジティブな内容」
②「ネガティブな結果+ポジティブな内容」
③「ポジティブな結果+ネガティブな内容」
という優先順位になる。
果たしてそうなのか。
確かに見事なパスワークは望むところであるが、
ファンにとっては、勝利が第一優先項目ではないのか。
なぜに、不恰好な勝利がいけないのか。

サッカーの世界では、特にヨーロッパでは完全に「勝てば官軍」である。
例え、超守備的なスタイルでも、神の手ゴールなどのミスジャッジでも、
勝てば先に進め、負ければ終り。
チームとしての金銭面の充足も終り。
盛り上がりも終り。
その結果を、どういう経緯があろうとも皆受け入れる。
一説には、ヨーロッパの民衆は、
侵略と被侵略の歴史を繰り返した経験により、
自分の不利な状況においても結果を受け入れるしかなかった。
故に終わったことを蒸し返したところでどうにかなるものではないと
考えるらしい。
レッドカードの退場というルールも、
ヨーロッパならではで、平等主義のアメリカ発祥スポーツでは考えられない。
ホッケーの退場は、代わりの選手が入ることが出来て
人数のバランスは維持されるはず。
しかも、時間がたてば退場者も中に入れる。

勝った者が強者であるならば尚更、勝利が至上命題になるはずで、
「魅力的なサッカーをしたけど負けちゃった」では話にならない。
クライフの言葉のウラには、プライドを持てという意味が含まれており、
確かにそのとおりと言えるのだが、
ともすれば、負けに対する妥協を加速させる材料になるとも言える。
「そんな勝ち方で嬉しいか。こっちは、サッカーで観衆を魅了した。
あんたらがやったのはサッカーではない。
こっちが事実上大会でもっとも光ったチームだ。」
なんぼ言っても結果は一緒。
かく言う私も、ユーロでのイタリアの勝利(2000年。準決勝オランダ戦)を
ボロカスにこき下ろし、負けたオランダを最高と持ち上げた男だ。
矛盾は存分に理解している。言い訳や僻みを持っていることも分かっている。
そう考えないとやっていけないというファン心理も分かる。
だからこそ、どんなに不恰好でも勝ってほしいのだ。

チャンピオンズリーグ、チャルシー戦での敗戦により、ロンドンの市民は、
魅力的なサッカーを展開したバルサに好感を持ったそうだ。
好感なんていらない。対戦相手に好感を持つなんぞ、
勝者だからできる余裕の産物であって、敗者はそんなもの求めていない。

 試合をまだ見ていないからえらそうなことを言うのは筋違いであるが、
もっと勝ちにこだわって欲しかった。
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by fez_maroc | 2005-03-18 12:13 | 【バルサ】


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