2005年 10月 14日
リスクを嫌う典型として
今読んでいる本「日本人の壁」で、日本人の国民性分析がなされている。

その中で著者は、日本人をリスクを冒さず安定を望む民族と断じている。
曰く、「内向性が強く、情緒的な日本人は、元来、自己主張が弱く、
聖徳太子の『和を以って尊しとなす』ために、主張により和を乱すことを良しとしない。
故に、『ぼかし』の言い回しが根付き、明言を避ける。そこから生まれた『あはれ』などの
繊細な美意識や文化が、良くも悪くも日本人の性質を表している」とのことだ。

また、「その性質から、リスクを冒さない、あるいは避ける国民であり、故に、
リスクを許容しない、言い換えれば、他人がリスクを冒し和を乱すことを許さない国民である。」

さらには、「リスクを冒した後の修復も下手であり、なおさら、リスクを冒さなくなり、
悪循環を起こしている」とのことだ。

安定を望むことが良いか悪いか、リスクを好まないことが悪いのかという議論があるが、
自分の性格と照らし、自分の行き詰まりを鑑みると、一つの答えであるような気がする。
自分が間違いなく正しい、あるいは相手の言っていることは明らかに矛盾しているなどと
思ったとき、また、その矛盾により自分が犠牲になることが有った時、
私は主張により事がこじれることや議論が始まることを避けている。
面倒な事になるならば、自分が妥協すれば事が上手く流れるとの意識が働いているのだが、
それは決して上手くながれているのではない。
たしかに、自分が犠牲になるほうが処理は速く進む。
しかし、既に“犠牲”という言葉を使っていることからも分かるとおり、
それは私のストレスを生んでおり、私ははけ口を求めている。

私は、人間関係のトラブルの修復が苦手とみる。
一般的にはトラブルとは思われないことでもトラブルと解釈してしまう。
相手が声を荒げることになったりすれば、それは私の中ではトラブルになってしまう。
すると、腫れ物に触りたくなくなる。結局のところ、人の顔色に過敏に反応しているのだ。

無意識のうちにリスクを回避し安定を求めている。
リスクを冒して、和が乱れることを怖れている。
やはり私はトラブルの修復が苦手である。
リスクを冒すにしても、修復するにしても、基準が相手の顔色であるからだ。
私は「人当たりがいい」と思われているかもしれないが、それは顔色を窺っているだけなのだ。

また、私の人生の中で常に気にかけているのは、「人に迷惑をかけない」ことである。
とにかく、人に頼らず自立することを何よりも優先してきた。
それは、自分がリスクを冒して誰かにそのしわ寄せが回ることが嫌であり、
裏を返せば、周りがリスクを冒して自分にしわ寄せが来ることを嫌っているということだ。

「日本の壁」の著者が言っていることが、
必ずしも“日本人”という括りに当てはまるかどうかについては、
今のところ意見を持たないが、日本人である私自身には見事に当てはまっている。

正しいと思ったことを主張し、主張によってトラブルが起こった際には素直に「ごめん」と言い、
全力でトラブルの処理にあたる。
そして、人が起こしたトラブルについても、それが単なるわがままではなかったとするならば、
真摯に受け入れる。それが心のゆとりを生むはずだ。

私自身、もう少しリスクを冒す必要があると思う。
そして、ハルには、自分が正しいと思ったことに対し、
リスクを避けてしまう人間になって欲しくはない。
その思いを彼の名前にも込めているから。
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by fez_maroc | 2005-10-14 19:37 | 【独り言・・・】


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