2005年 11月 15日
子供の安全を把握するシステムを知って思ったこと
最近の日経新聞に、
「通学路上にある自動販売機にセンサーをつけて、
子供が通過したかどうかを確認するシステム」が考案されたとあった。
また、関西の私鉄は、
「子供が自動改札を通過したことを親にメールで知らせる」サービスを開始するとのこと。
私も人の親となった。ハルが小学校に通学し始める時、
おそらく心配し慣れるのに時間がかかるだろう。ハルママはもっと時間がかかると思う。

しかしどうなのだろう。
私の幼少の頃は、放課後は寄り道がつき物だった。
私の家が学校から遠かったこともあったが、途中、友達の家に上がりこんだり、
近くの高校のグランドに入り込んでサッカーだのソフトボールだのやっていた。
高校の校舎に向けて誰が屋上まで石を投げられるかなどと手荒い遊びをやっていたのも
下校途中だった。通学路を外れて、知らない道を見つけることも楽しいものだった。
勉強にうるさく、常に意味不明にヒステリックで、
仕事柄日中在宅することの多かった父がいる家に帰りたくなかった私は、
まともに家に帰った記憶がない。ひとたび家に帰ると出かけるのが至難の業だったからだ。

妙な動機があったにせよ、下校中の友達とのやり取りは楽しかった。

冒頭の話は、子供の立場からすれば“監視”となるだろう。
ただそれは、下校時の遊びの味を知っている私たち以前の世代が感じるだけかもしれず、
今の子供たち、あるいは、ハルの世代の子供たちには、
“普通”のことであり“安心”を提供してくれるもので、
“監視”という圧迫を感じないのかもしれない。

電通総研の「世界各国の意識調査」において、
「悪い人はあまりいないという性善説と、
警戒しておくに越したことはないという性悪説のどちらの考えですか?」という問いがあった。
性善説に賛同した国民が多いのはノルウェーなどの北欧諸国、
逆に性悪説は南米が多かった。
日本は、上位というほどではないが、中の上といったところだ。
見て取れる傾向としては、過去に植民地だったり、侵略された経験を持っていたり、
治安が悪いなどに該当する国が性悪説の考えを持っているらしい。
日本は侵略された歴史を持たず、
植民地となり迫害を受けた経験が無い(戦後はアメリカの植民地だという意見は無視)。

日本人の社会では、血縁よりも、ムラという小さな地縁が生活の主体となっていた。
私の過ごした時代も、子供たちは周りのよく知るおじちゃん、おばちゃん、お兄ちゃん、
お姉ちゃんに何の警戒心もなく接し、おじちゃんおばちゃんは、誰の子であるかは関係なく、
悪いことをした子を叱っていた。
私の母は、ヤンキーと化しパーマぐりぐりとなった私の同級生の頭を掴み、
「なんね、この頭は!」とヤンキー集団の中にも平然と物を言っていた。
後日、そのヤンキーは笑いながら私に言った。「fezのかあちゃんすげーな」。
そんな時代だった。

今、私は悪いことをしている子供たちを注意できるだろうか。
まったく地縁の無い生活をしていてその見知らぬ子供を注意したら、
ハルやハルママに危害を加えられないだろうか、
もっと妄想すると、家に火をつけられたりしたら・・などとなる。

女の子が高校に入って相手をしてくれなくなったからという理由で殺人を犯したり、
母にタリウムを飲ませて状況観察したりなどという信じ難い事件が起こっている。
原因は社会にあるのだろう。
その社会に身をおいている以上、性善説がいい性悪説が悪いなどと断言するつもりはない。
ただ、冒頭のシステムやサービスが哀しくもあり、ちょっと前の時代を懐かしく思うのだ。
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by fez_maroc | 2005-11-15 21:32 | 【独り言・・・】


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